【公式ブログ】浜名湖舘山寺美術博物館 ギャラリー ラ・メール

★弘法大師の宿曜占星術★廃業しました

2017春の労美展


オープニングパーティー

浅井勝男 写真展

浅井勝男 写真展
“知らない街を歩いてみたい”
2017’4.1(土)~14(金)
水曜日休館
Jazコンサート

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古布展

1月1日(日)~31日(火)
古市ざんまい 招布工房 大場久仁子

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おんな城主 井伊直虎と十頭八幡様(舘山寺温泉・堀江城)

ギャラリーの庭に十頭八幡様をお祀りしています
十頭八幡様

  今川方に反旗をひるがえした井伊直虎ら井伊谷三人衆が導き、三千の徳川勢が大挙して城主新田喜斎(瀬戸方休)の堀川城(浜松市北区細江町)に迫ってきた。大手は尾藤主膳、奥表口は山村修理が守った。総攻撃は永禄十二年(1569年)三月十二日の干潮とともに。堀川城の城兵一千七百人とはいえ大半が百姓主体の男女入り混じった村人らである。いくさ慣れした徳川勢に敵うはずもなく、全員が討たれ(獄門畷で処刑)、戦闘はわずか一日で落城した。
 落城の惨劇の中で、山村修理は西気賀で切腹(修理の松に祀られる)。尾藤主膳は落城の様子を、ここ堀江城(城主大澤基胤 浜松市西区舘山寺町)に知らせるため家臣十名と堀江城に行き、場内にかくれたが、やがて同城も徳川方と和睦開城するに至り、もはやこれまでと家臣十人と共に切腹して果て「十頂(十頭)八幡宮」として祀られました。
これ以前の永禄三年(1560年)五月、桶狭間の戦いの直後に尾藤主膳の子、尾藤源内と孫の又八郎が尾張に移って森三左衛門可成(森蘭丸の父で織田信長の家臣)に仕えていた。孫の尾藤知宣は永禄年間に、羽柴秀吉に仕えるようになっている。
 尾藤主膳のもう一人の孫、宇多頼忠は、永禄七年(1564年)頃に武田信玄の家臣だった真田昌幸に長女(山之手姫・尾藤主膳ひ孫)を嫁がせ、真田幸村を生んでいる。
その後、天正三年(1575年)五月二十一日長篠の戦いで、武田家が遠江で勢力を失うと、宇多頼忠は所領を捨てて兄尾藤知宣を頼って近江の長浜城へ赴き、その紹介で知宣の主君羽柴秀吉の弟秀長の家臣となった。「竹生島奉加帳」には彼の名が兄知宣と共に残っている。 秀吉、秀長の出世と共に累進し、秀吉が天下を取って秀長が百万石の領主として大和郡山城に入った頃には、家臣団の中でも藤堂高虎に次ぐ一万三千石を領する重臣となっていた。また、次女(おりん姫・尾藤主膳ひ孫)は石田三成に嫁組している。
   建立者 山村修理の子孫 金原 貴(時わすれ開華亭社長・かんざんじ観光協会長)

2階美術博物館

 浜名湖舘山寺美術博物館は、徳川家の名品を中心に館蔵されております。
主な館蔵品は、信長の欲しがった松永久秀の「平蜘蛛釜」、三方原合戦の直後、信長が浜松について「体たらく」と諌めて書いた戸田半右衛門宛の朱印状、尾形光琳の十二ヶ月図屏風、関が原合戦の直前に小出吉政宛に書いた徳川家康の書状、谷 文晁の百花百鳥図、渡辺崋山の商山四皓図、武具、茶道具等江戸時代の美術品を収集しています。
2階美術館入口
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信長の欲しがった「平蜘蛛釜」当館館蔵品 ●展示中●
平蜘蛛釜5M
利休の師匠、武野紹鴎作「霰釜」●展示中●
霰釜
武野紹鴎(たけの じょうおう)は「侘び茶」を草案、堺や京都の商人や、武将たちの茶の湯の指導に当たるようになります。
弟子は、津田宗達(宗及の父)、今井宗久、長谷川宗仁、油屋紹佐、茜屋宗佐、銭屋宗訥、千宗易(利休)などの商人、そして、武将 三好康長 の名が知られています。堺で茶の湯が広がり、発展したのは、紹鴎によるところが非常に大きいといわれています。
茶人武野紹鴎が、少壮の34歳以前の利休に送った「侘びの文」に侘びの真髄についての説明が書かれています。

侘びと云ふこと葉は、故人もいろいろに歌にも詠じけれども、ちかくは正直に慎み深く、おごらぬさまを侘びと云ふ。
  一年のうちにも十月こそ侘びなれ。定家卿の歌にも、
  いつはりのなき世なりけり神無月
  誰がまことより時雨そめけん
とよみとりけるも定家卿なればなり。誰が誠より、とは心言葉も及ばざるところ(不及処)を、さすがに定家卿に御入り候。ものごとの上にもれぬところなり。
茶事もと、閑居して物外をたのしみ居る所へ、知人とぶらひ来て、茶点てもてなし、何かなと、花を生けてなぐさみ候すがたにて候。
天下侘の根元は、天照御神にて、日国の大主にて、金銀珠玉をちりばめ殿作り候へばとて、誰あってしかるもの無候に、かやぶき・黒米の御供、其外、何から何までも、つつしみ深く、おこたり給はぬ御事、世に勝れたる茶人にて御入候。
ふるきを捨てず、新しきを求めずといふところ肝要にて候。今さへ古きを求め宝となす風俗にて候へば、なげかはしなげかはし。後代にては影も形もなくなり、あき人の業になり申すべしと、いとかなしく候。
侘といふ文字、空法師幾日か工夫候へども、埒あき申さず候。本来物のなき人は手に入りかね申すべし。あなかしこあなかしこ。

利休の侘び茶、師匠紹鴎の影響が偲ばれる手紙です。

尾形光琳作「十二ヶ月花鳥図屏風 当館館蔵品 ●展示中●
美術館 005 5M

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